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2019年8月31日土曜日
本庄事件
本庄事件 (1923年)
本庄事件(ほんじょうじけん)とは、1923年(大正12年)9月4日に発生した埼玉県本庄町(現・本庄市)における朝鮮人殺害事件のこと。 事件の背景 1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災直後、関東各地において、「地震の混乱に乗じて朝鮮人が暴動を起こす」「朝鮮人が井戸に毒を入れた」などという流言が流れ、これらの噂に恐怖した住民による自警団が関東各地で組織された。また埼玉県内務部長名で『不逞鮮人暴動に関する件』と題する通牒が2日付で郡役所経由で各町村長宛に発せられ、各町村が住民に注意喚起を行ったりしたため、さらに噂の流布が助長され混乱が深まった。埼玉県内では約300の自警団が組織され、震災の混乱による情報不足と流言により住民の不安が増大する中、3日には県内全域で自警団等による「朝鮮人狩り」が発生した。自警団は列車や徒歩で東京方面から避難してくる人々の中から朝鮮人を探し出し、警察に連行するなどした。このため朝鮮人労働者や朝鮮人に間違われた日本人が暴行を受けるなど混乱した状況が発生した。 これらの暴行や殺害に関わった「自警団」は、元々、消防団や青年団、在郷軍人会を中心として被災者の救助や家屋の片付けなどに従事していた一般市民が、朝鮮人暴動の噂により自警団化したもので、組織や命令系統がしっかりとしたものではなかった。県内各所での朝鮮人殺傷事件の発生を受け、行政側も4日の段階で郡長、警察署長名で各町村長、在郷軍人分会長、青年団長宛に流言を打ち消す通牒を出すなどして混乱の沈静化を図ったが、パニック状態に陥っていた人々に対しては効果が薄く、混乱は治まらなかった。 事件の経過 9月4日、埼玉県の本庄町(現・本庄市)では、住民によって朝鮮人が殺害される事件が起きた。 本庄町内でも鉈や棍棒などで武装した自警団が中山道などの主要道で即席の検問所を設け、通行する人や車に対し検問を行った。 本庄駅では3日午後、東京方面からの避難者等を満載した列車に乗っていた朝鮮人が青年団らにより降ろされて警察に連行され、本庄警察署内に収容される等の動きがあった。 県警では混乱を防ぐため、自警団により警察に連行された朝鮮人を群馬県などの県外に移送しようと試み、警察官や自警団によって県北部に向けて徒歩やトラックで移送した。県の北部に位置する本庄町や熊谷町…
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